記
第22回KMSJアート部会研究報告書
【日時】平成24年3月17日(土)17時〜20時
【場所】小石川後楽園涵徳亭日本間(JR飯田橋5分)
【学会関係出席】4名(石川、小野瀬、堀田、谷澤)
【研究テーマ】「相撲道の歴史と知から学ぶKM戦略」
【発表者】小野瀬 由一(KM学会理事・アート部会長)
【配布資料】
「相撲道の知から学ぶKM戦略」
【発表概要】
1.相撲道の歴史と知から学び
1)相撲道の歴史
・日本最古の相撲に係わる記録は、奈良時代の記紀神話である古事記「国譲り神話」の建御雷神と建御名方神の闘、日本書紀「垂仁天皇の段」の野見宿禰と当麻
蹴
速の闘、日本書紀「雄略天皇の段」の女相撲が残っている。
・奈良時代には、天平六年(734)7月7日に聖武天皇による天覧相撲が始まり、これを契機に抜出司による相撲節会が始まった。
・平安時代の承安4(1174)年には、相撲節会は途絶し国相撲人(相撲取)の一部は諸国郡司の御家人として召し抱えられた。
・鎌倉時代には、将軍宗尊親王が専門相撲人による上覧相撲(1254)を復活した。
・室町時代には、六代将軍足利義教と幕閣諸大名による京相撲人の「相撲御覧」(1428)があった。また、この時代には、京都伏見法安寺造営などの勧進相
撲(1419)が始まった。
・安土桃山時代には、織田信長が上覧相撲(1570)を復活し、安土城相撲大会では相撲人1500人を集めたといわれている。また、この時代には、京都山
城醍醐勧
進相撲興行(1605)、江戸勧進相撲興行(1642)、京都糺ノ森勧進相撲興行(1645)など相撲人気が異常に高まったため、町奉行による勧進相撲・
辻相撲禁
止令(1648)が出た。
・江戸時代には、江戸深川八幡境内で寺社奉行による勧進相撲復活令(1684)が出た。一方、京都では岡崎天王社勧進相撲で板番付(1699)が初めて掲
示され
た。また、この時代には、相撲専業人による勧進相撲興行許可(1719)が出て、谷風・小野川に吉田司家から横綱免許(1789)が出た。また、将軍徳川
家斉は上
覧相撲を復活し、女性の相撲観戦(千秋楽のみ)許可(1791)を出した。江戸では、両国回向院が興業相撲定場所(1833)となったが、力士100人待
遇改
善を求めて回向院に立てこもる嘉永事件(1851)が起った。
・明治時代には、大阪座摩(いかすり)神社にて明治天皇による天覧相撲(1868)があった。翌1869年には版籍奉還により「力士の大名お抱え」が解除
され
た。1873年には高砂事件が起こり高砂浦五郎が相撲改革を訴えた。1878年には女性の相撲観戦が初日から許可となった。同年には「警視庁角力・行司取
締規
則・興行場所取締規制」が発布した。1896年には中村楼事件が起こり立て籠もった力士達が西方力士協会へ改革を迫った。1899年には相撲会所が「東京
大角力協
会」と改称した。1907年には横綱常陸山が渡米しルーズベルト大統領へ土俵入りを披露した。1909年には両国国技館が開館し、10日間興行となり千秋
楽に全力
士の取組みが始まった。同年から東西対抗戦を改め個人優勝制度・優勝旗・優勝額制度が始まった。1910年には京都相撲集団が海外公演に失敗し解散となっ
た。1911年には新橋倶楽部事件が起こり幕内力士達が待遇改善を求めて籠城した。
・大正時代には、1914年に太刀山・鳳一行がハワイ巡業、1915年に梅ヶ谷・西ノ海一行が米国巡業、1921年に大錦・栃木山一行がハワイ・米国巡業
を行っ
た。1925年には文部大臣より「財団法人大日本相撲協会」の設立許可が出た。同年には最初の優勝賜杯が幕ノ内優勝常の山に授与された 。
・昭和時代には、1927年に本場所年4回(大阪2回)制となり、年寄は105名となった。1928年にはNHKラジオ相撲実況放送が始まった。
1931年には土
俵直径が3.94mから4.55mに改められた。
1932年には春秋園事件が起こり天竜ら新興力士団による改革提訴があった。1939年には横綱双葉山69連勝で
ストップし、知人に「イマダモッケイタリズ」と電報打った。敗戦後の1947年には一門総当り制・三賞制度が制定された。1950年には横綱審議委員会が
設置さ
れ横綱免許権が吉田司家から移管された。
1951年には横綱武蔵川一行がブラジル巡業を行った。1952年にはNHKテレビ相撲中継が始まった。
1954年には蔵
前国技館(11000人収容)+相撲博物館が開館。
1957年には月給制確立、茶屋制度廃止、升席解放、本場所年6回(東京3回・名古屋1回・大阪1回・九
州1回)制導入など改革があった。
1965年には部屋別総当り制が導入され、大相撲ソビエト公演があった。1972年には高見山が外国人力士初優勝。
1973年に
は大相撲中国公演、1981年には大相撲メキシコ公演があった。1985年には両国国技館完成。
・平成時代に入り、若乃花・貴乃花兄弟の活躍により相撲ブームが起り多くの女性相撲ファンを獲得した。1993年から2000年頃にかけて優勝争いは若貴
ら二子山
部屋勢対曙・武蔵丸のハワイ勢の様相を呈した。若貴の引退と入れ替わり、モンゴル勢が台頭し2006年3月場所には優勝横綱朝青龍をはじめ三賞をすべてモ
ンゴ
ル勢が占め、2006年1月場所に栃東が優勝した以降日本人の優勝は途絶えている。加えて、2010年5月に野球賭博問題が発覚、翌2011年2月に八百
長問
題が発覚し、3月場所は休止、5月場所は技量審査場所として開幕されたが、その後は各場所空席が目立つ状態が続いている。
2)相撲道の知
(1) 相撲道の場
・相撲道の場は、「記紀神話」の場から公家による「節会奉納」の場、社寺による「勧進相撲」の場、相撲会所・相撲協会による「相撲興行」の場、そして「国
技」とし
ての海外公演へ展開を通じた相撲道の維持発展。
(2) 相撲道の形式化
・昭和時代、時津風定次(双葉山)著『相撲求道録』(黎明社)で「相撲道」とは思った瞬間に技が出る心身一如の境地とあり。
・平成時代、白鵬翔著『相撲よ!』(角川書店)で四股・鉄砲・摺り足伝統的稽古が対大事、流れのある相撲を取る、無意識の境地が大事とあり。
(3) 相撲道の革新
・奉納・見世物相撲興行からプロ相撲興行へ転換。
・番付・東西対決による競争心・応援心の鼓舞。
・国技としての海外巡業・公演と外国人力士への市場開放し、今日大型力士に勝つ心技体の稽古が求められている。
(4)相撲道の伝承
・節会の奉納相撲から勧進相撲への転換。
・勧進相撲から会所・協会による国技相撲へ転換。
・外国人力士への市場開放による協会制度改革と大型力士に勝つための日本人力士の育成方法の改革が求めれている。
3)相撲道から学ぶKM戦略
・相撲の流れを作る場=稽古場であり、無意識で勝てるまで質量高い稽古が大事、「稽古場は本場所のごとく、本場所は稽古場のごとく」=本戦を意識した心技
体の稽
古が勝ちを生む。
・企業における人材育成に置換すると、企業要員の競争関係を意識した勝つためのノウハウ・スキルの研鑽が重要であり、その方法は実践トレーニング+心技体
トレーニングが求められる。
・具体体的には、下位組織の人材育成ではトレーニングの場の提供+実践的トレーニングプログラムの提供+動機づけ・リーダーシップの発揮がポイント。
また、上位組織では戦う場の構築+ビジネスシステムの構築(BtoC+BtoB+CtoCなど)+報酬制度・勤務体系の確立+マーケティングシステムの構
築がポイントと考えられる。
【参考文献】
・大谷孝吉著「日本の伝統相撲」淡交社、1965年12月
・時津風定次(双葉山)著「相撲求道録」ベースボール・マガジン社、1979年6月
・長谷川明著「相撲の誕生」新潮社、1993年9月
・寒川恒夫編著「相撲の宇宙論」平凡社、1993年11月
・新田一郎著「相撲の歴史」山川出版社、1994年6月
・澤田一矢編「大相撲の事典」東京堂出版、1995年8月
・根間弘海著「ここまで知って大相撲通」グラフ社、1998年4月
・武田和衛著「大相撲!」角川書店、2000年1月
・長谷川明著「相撲の誕生(定本)」青弓社、2002年4月
・和歌森太郎著「相撲今むかし」星雲社、2003年5月
・中島隆信著「大相撲の経済学」筑摩書房、2008年3月
・白鵬翔著「相撲よ!」2010年9月
・デビッド・ベンジャミン著「SUMO」ツットル出版、2010年
・金指 基著「相撲大辞典第三版」現代書館、2011年1月
・ウィキペディアフリー百科事典「大相撲」
(文責:小野瀬由一)
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