日本ナレッジ・マネジメント学会アート部会
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第18回KMSJアート部会報告書
【日時】平成23年7月9日(土)17時~19時00分
【場所】小石川後楽園涵徳亭日本間(JR飯田橋5分)
【出席者】6名(眼龍、小野瀬、谷澤、八代、古藤、星(懇親会のみ))
【研究テーマ】「書道の知から学ぶKM戦略」
【配布資料】
「書道の歴史と知から学ぶKM戦略」(小野瀬)
【発表者】
小野瀬由一(アート部会長)
【発表概要】
1.書道の歴史からの学び
1)書道の歴史

【発表概要】
・日本の書道は、大和時代の中国朝貢による後漢王からの「金印」授受(57)や百済からの「論語」・「千字文」(85)等による漢字伝来から始まった。
・飛鳥時代、中国から仏教が伝来(538)し写経が書の訓練として始まった。また、この時代、仏典、書道具を持つ者は天皇家や公家などの権力者であった。
・奈良時代から始まった遣隋使(600〜618)・遣唐使(630〜894)は平安時代まで続き、日本は中国から多くの文化を学んだ。とりわけ、中国の中 央集権 政治は大化改新、大宝律令などをもたらし律令政治が日本においても始まった。律令政治では、人民の戸籍が作成され、班田授受という収獲に基づく租税 制度が始まった。これら政治を実行する官吏育成では大学寮教育が始まり、その教育において書道は必修科目となった。ここに、書道は漢字を素材とした 芸術だけでなく実用能力としても位置づけられた。
・平安時代初期には、本朝能書「三筆」として嵯峨天皇・空海・橘逸勢(はやなり)がいた。これらの書は中国崇拝の書であった。平安時代中期には、 「三蹟」として小野道風・藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)がいた。これらの書では和様の成立が見られる。平安時代後期には、女手による 仮名が完成し『高野切第一種・第二種・第三種』等へ昇華した。
・鎌倉時代には、藤原家による書流の発展が見られた。藤原行成の孫伊房による「世尊寺流」、摂関家筆頭藤原忠道による「法性寺流」、藤原良経による 「後京極流」などが隆盛した。この時代には再び中国との交流が始まり、中国禅僧による墨跡が重宝された。
・室町時代には、足利幕府による公武合体により禅宗の五山文学や禅林が隆盛し、わび茶の祖である村田珠光は墨跡を茶室で使用した。室町時代後期には、 尊円法親王による『入木抄』などを著し多くの門跡を輩出し「青連院流」と称した。
・安土・桃山時代には、信長・秀吉・家康など武将の書が重宝された。これら武将は「青連院流」を採用した。「青連院流」は江戸時代には「御家流」と なった。
・江戸時代には、寛永の「三筆」として近衛信伊(のぶただ)・本阿弥光悦・松花堂昭乗が登場した。この時代には、寺小屋・手習所における儒学・朱子 楽の勉学が始まり、漢字の行書+草書(御家流)など書道の唐様+和様が訓練された。江戸時代後期には、幕末の「三筆」として市河米庵・巻菱湖・貫名 菘翁が登場した。
・明治時代には、初等教育において唐の楷書+王羲之の行書+草書+平明ひらがな+カタカナの学習が始まった。この時代、展覧会+美術館における書の 鑑賞が始まった。
・大正時代には日本書道作振会、昭和時代初期には泰東書道院が創設されなど書壇が形成された。 ・昭和時代には、第二次世界大戦後GHQによる毛筆習字禁止令が出たが、1948年には復興し全日本書道展(毎日書道展)が始まった。その後、書道は日展 にも入り、前衛書家として比田井南谷・上田桑鳩・井上有一などが登場した。昭和時代後期には、第1回産経国際書会(1984)が開催されるなど書道の国際 展開が始まった。

2.書道の知とKM戦略に関する考察
(1) 書道の知
・「書道」は、写経など文化伝承としての側面、戸籍作成や文書としての実用の側面、漢字等を素材とした芸術としての側面がある。
・今日の「書道」は、習字や書を鑑賞したりする教養として側面が強い。
(2) 書道の型と場
1)書道の場(エリア)
・書道の場は、・中国朝献→・仏教→・公家(和歌)→・流派→・茶席→・武家→・寺小屋→・初等教育→・書会・展示会を経て、今後国際展示会やバーチャル 空間 への展開が期待される。
2)書道の型(モデル)
・書道の型は、・飛鳥時代、遣隋使などにより中国・朝鮮から漢字を学ぶ→・奈良時代、仏教写経で書法研鑽(日本最古の書聖徳太子「法華義疏」)→・平安時 代、 公家の和歌にて「三筆」「三蹟」「仮名」の成立→・鎌倉(南北朝)時代、書流「世尊寺流」「法性寺流」「後京極流」等へ展開→・室町(東山文化)時代、茶 席 で村田珠光「墨跡」使用→・安土・桃山時代、青連院流家元による信長、秀吉、家康の「武将の書」へ展開→・江戸時代、寛永の三筆「信尹」「光悦」「昭乗」 に より唐様+和様の二層構造化→・明治時代、初唐の楷書+王羲之の行書+草書+平明ひらがな+カタカナの学習→・大正時代、日本書道作振会創設により書壇の 形成 →・昭和時代、毎日新聞主催日本書道展などマスコミ主催書会・展示会が進展し、前衛書などによる国際展示会へ発展。
3)書道の革新
・書道の革新は、奈良時代の仏教経典の写経による書法研鑽、平安時代の和歌による漢字+女手による仮名の成立、室町時代の茶席による墨跡の鑑賞、江戸時代 以降 の寺小屋・初等教育における習字、明治時代の書道展による鑑賞へ展開した。今後、インターネット時代の書道の展開を期待したい。
4)書道の伝承
・書の伝承は中国の先進文化として遣隋使・遣唐使により伝来した。国内では、天皇家の権威→公家の和歌→武家の書信→流派による書流伝承→寺小屋+初等教 育に よる習字として伝承した。

(2)書道の知から学ぶKM戦略に関する考察
1)書道の知
・「書」は文化や知識を伝承する記号である。また、「書道」は漢字等を素材とした芸術である。 2)書道の形式化
・平安時代、公家の和歌にて「三筆」「三跡」「仮名」の成立→鎌倉時代、書流「世尊寺流」「法性寺流」「後京極流」等の成立→安土・桃山時代、信長、秀 吉、家 康の「武将の書」→江戸時代、寛永の三筆「信尹」「光悦」「昭乗」による和様+唐様の成立→明治時代、平明ひらがな+カタカナの登場→大正時代、書壇を形 成し た。すなわち、書の能書モデルを指定し書の研鑽を図った。また、漢字の訓読みから仮名を成立させるなど発想の転換、書き手に女性を登場させて仮名の書き手 にする などの手法が日本のオリジナリティといえる。
3)書道の知から学ぶKM戦略 ・「書」は中国文化を伝える記号であったが、この記号を操れることが権威・文化の象徴でもあった。
・「書道」の修練は、平安時代の「三筆」「三跡」「仮名」、江戸時代寛永の三筆「信尹」「光悦」「昭乗」などのモデル化が行われた。
・今日、インターネットの普及は文化や意思を伝えるコミュニケーションに大きな影響を与えている。書道は墨・筆・紙による実用表現であったが表現芸術にも なった。
・すなわち、書道の知をビジネスの場に転じると、商品・サービスの発想・商品化・マーケティングにおいて、・実用的価値の追求と同時に芸術的価値の訴 求、・商品・ サービスのランキング構築と訴求、・男性用・女性用商品・サービスの差別化、・商品・サービスによる生活創造教育など教えや気づきの場の提供などのKM戦 略が考え られよう。

【参考文献】
・名児耶 明監修「日本書道史」芸術新聞社、平成21年5月発行
・春名 好重著「日本書道新史」淡交社、平成13年6月発行
・飯島 春敬監修「書道辞典」東京堂出版、昭和50年4月初版発行
・小瀬 昌史著「日本の伝統芸能における型論-真・行・草-」大阪市立大学大学院修士論文、平成16年3月
・ウィキペディアフリー百科事典「書道」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E9%81%93
(文責:小野瀬由一))



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