日本ナレッジ・マネジメント学会アート部会
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■第15回KMSJアート部会報告書
【日時】平成22年12月18日(土)17時〜19時
【場所】小石川後楽園涵徳亭洋間(JR飯田橋5分)
【出席者】3名(小野瀬、谷澤、堀田)
【研究テーマ】「柔道の知から学ぶKM戦略」
【配布資料】
「柔道の知から学ぶKM戦略」(小野瀬)
【発表者】
小野瀬由一(アート部会長)

【発表概要】
.柔道の知から学ぶKM戦略
1.柔道の歴史と知からの学び
1)柔道の歴史
・柔道の原点は「柔術」であり、その源流は室町時代に発祥した戦闘術「竹内流小具足腰の廻」(1532) まで遡る。
・その後、柔術は多様化し、江戸時代には多くの流派が発祥した。とりわけ、1637年に発祥した「起倒流柔術」は講道館柔道「古式の形」の源流となった。 1648年に発祥した「関口柔新心流」は柔能制剛の理の『武士訓』をもち柔術を確立した。1822年に発祥した「天神真楊流」は後の講道館柔道へ影響を与 えた。
・講道館柔道の開祖である嘉納治五郎は、江戸時代末期神戸東灘区に生まれ(1860)、「東京帝国大学」に入学(1877)し、卒業後学習院教員 (1882)となり、同年「講道館」「嘉納塾」「弘文館」を設立した。
その後も教育の道を歩み、1893年には東京高等師範学校校長に就任した。嘉納は、明治維新で近代社会を学んだ欧米社会への返礼として、日本の伝統武道で ある「柔道」の普及を図った。
・嘉納治五郎の活動は世界的に認められ、嘉納は大正時代の1909年に東洋人初のIOC委員に抜擢された。
1911年には「大日本体育協会」を設立し初代会長に就任した。そして、日本は第5回ストックフォルム大会(1912)からオリンピックに参加することに なった。
・昭和時代に入り、競技の場として「全日本柔道選手権大会」(1930)を開催した。しかし、嘉納がIOC委員として開催決定した第12回東京オリンピッ ク大会は太平洋戦争により中止になった。
・戦後、武道教育は禁止になったが1946年には再開され、1948年には「全日本柔道選手権大会」も再開さ れた。
・1951年には「国際柔道連盟(IJF)」が発足し、日本も正式加盟し嘉納履正前講道館館長がIJF会長に就任した。1956年には「第1回世界柔道選 手権大会」が東京で開催され、1964年の「第18回オリンピック東京大会」では柔道が正式種目に採用された。
・その後女子柔道も盛んになり、1978年には「第1回全日本女子柔道選手権大会」が開催され、1980年には「第1回世界女子柔道選手権大会」が開催さ れた。また、1992年の「第25回オリンピックバルセロナ大会」から女子柔道が正式種目に採用された。
・現在、国際柔道連盟加盟国は200の国・地域に及んでいる。

2)柔道の知
・柔術の源流である「竹内流戦闘術」の思想は、「掟」+「兵歌」+「三徳抄」の徹底により修行者間の礼儀を正す「智仁勇」の徳を持つ人間の育成であった。
竹内流戦闘術、習熟度による5段階昇格制度(達者→目録(世話係)→地臈(ちろう・吟味取立)→免許(取立後見役)→印可(後見役))を有していた。
・講道館「古式の形」となった「起倒流柔術」の思想は、自然界の動きと一体となり(神人一体)邪心を払って人々に善道を施すこと、すなわち柔道であった。 起倒流柔術は21本の形を有し、その奥義として5巻の書(本體・天巻・地巻・人巻・性境)がある。起倒流柔術の修行には、形稽古と乱稽古があった。
・柔術を確立した「関口柔新心流」の思想は、「柔よく剛を制す」を原理とし、柔道とは仁義礼節を以て逆徒や盗賊等の賊剛を制することであった。関口柔新心 流は、「形」の習得数+習熟度による10段階「位制階」(初学→表→裏格→中段格→中段→奥→伴頭脇格→伴頭→大伴頭)を有していた。
・講道館柔道の原点となった「天神真楊流」の思想は、守破離の守を重視し、型を学び、小宇宙を直覚し大宇宙を知る、すなわち平常心による心技体の一致で あった。天神真楊流は、護身術から極めの技まで124の形を有していた。
・「講道館柔道」の思想は、心身の力を最も有効に使用する「精力善用」を原理とし、「精力善用・自他共栄」を最高目標とした。講道館柔道の技は投技+固技 +当技からなる「五教の技」があり、稽古は「形(投の形+固の形+極の形+柔の形+古式の形+五の形)」+「乱取」がある。また、講道館柔道の目的は、体 育(全身筋肉使う運動)+勝負(相手の力に逆らわず、相手の力を利用して勝つ)+修心(知性+人格+節約+正義+公正+忍耐+礼儀+謙虚+正直+勇気+相 手に対する親切心)である。

2.柔道の知とKM戦略に関する考察
(1)柔道の知に関する考察
1)柔道の場(エリア)
・弓道の場は、1.戦場→2.天下統一→3.講道館柔道→4.大日本体育協会→国際柔道連盟を経た。
2)柔道の型(モデル)
・柔道の型は、1.室町時代「竹内流小具足腰の廻」(柔術の源流)→江戸時代「起倒流柔術」(講道館柔道の古式の形)+「天神真楊流」(講道館柔道思想の 原点)→明治時代嘉納治五郎「講道館」設立→昭和時代嘉納治五郎戦いの場「全日本柔道選手権大会」開催、組織の場「IOC加盟」「IJF加盟」「大日本体 育協会設立」→
IOCによるオリンピック、IJFによる世界柔道選手権大会へ発展。

3)柔道の革新
・竹内流戦闘術は、柔術の「技」と「段位制度」の原型を体系化した。 ・起倒流柔術と天神真楊流は、柔術稽古の体系化、すなわち「形」+「乱稽古」+「心技体」を有し、講道館柔道に影響を与えた。
・嘉納治五郎は、柔術流派を統一した「講道館柔道」を確立し、IOC委員・大日本体育協会会長として、柔道の世界普及を図った。

4)柔道の伝承
・流派秘伝→柔術各流派の稽古の体系化→講道館による柔道の確立→協会による技術・思想の練磨→IJF・IOC加盟
による柔道の国際展開。
(2)柔道の知から学ぶKM戦略に関する考察

1)柔道のKM
・道場とは、そもそも「仏教の修行をする神聖な場所」であり、生きるべき道を学ぶ場所である。
・柔術とは、戦場で勝つための技の体系化である。
・柔道とは、自己実現のための道、すなわち「体育」+「勝負」+「修心」であり、「精力善用・自他共栄」を最終目標とする。
2)柔道の形式化
・室町時代、柔術の「技」の体系化と「段位制度」の原型を有した。
・江戸時代、柔術流派の稽古の体系化、すなわち「形」+「乱稽古」+「心技体」が進んた。
・明治時代、嘉納治五郎が「講道館」を設立し、柔術流派を超えた「柔道」を確立した。

3) 柔道の伝承
・柔術流派による「技」と「稽古」の練磨の展開。
・嘉納治五郎による協会設立と柔道「技術」と「思想」練磨の確立。
・「世界選手権」+「オリンピック」参加よる柔道技術と思想の世界普及。
4)柔道の知から学ぶKM戦略
・嘉納治五郎による柔道の構築と世界展開は、現在ビジネスに多くの示唆を与える。嘉納は、柔道の稽古に「形」+「乱稽古」+「修心」を取り込んだ。このこ とは、日本企業の競争力強化は、技術だけでなく、技の鍛錬と心の鍛錬を 融合させた人材育成システムを構築・伝承し、万全を尽くして自他共栄をめざすことであることを示している。
・ディビット・ヨヒー著「柔道ストラテジー」によれば、柔道思想を活かした競争戦略とは、力対力という考え方は否定し、ムーブメント・バランス・レバレッ ジの三つの原理を基本に据え、多彩な戦術やテクニックを駆使することである。すなわち、ムーブメントとは、攻撃を呼び込まない・戦いの場を自分で決める・ フォロースルーを手早くすることである。バランスとは、相手をしっかり掴み・全面対決をしない・引かれたら押すことである。また、レバレッジとは、競争相 手の資産・競争相手のパートナー・競争相手のライバルなど以外な場所を選ぶことである。
【参考文献】
嘉納治五郎著「Mind Over Muscle柔道〜柔よく剛を制す」講談社、2005年
ディビット・ヨヒー著「柔道ストラテジー〜小さい企業がなぜ勝つのか」NHK出版、2004年8月
藤常良明著「柔道の歴史と文化」不昧堂出版、2007年9月
三船久蔵著「柔道の神髄〜道と術」誠文堂新光社、1965年
山口香ほか著「柔道」ベースボールマガジン、2009年7月
ラドミル・コバチェビッチ著「わが柔道の技と心」 ベースボールマガジン、1983年12月
佐々木武人ほか著「現代柔道論〜国際化時代の柔道を考える」大修館書店、1993年、6月
デーヴィット・マツモト著「柔道〜その心と基本」本の友社、1996年8月
ウィキペディアフリー百科事典「柔道」
(文責:小野瀬由一)



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