記
第21回KMSJアート部会研究報告書
【日時】平成24年1月21日(土)17時〜19時30分
【場所】小石川後楽園涵徳亭日本間(JR飯田橋5分)
【学会関係出席】5名(眼龍、小野瀬、堀田、谷澤、八代)
【研究テーマ】「やきものの歴史と知から学ぶKM戦略」
【講師】小野瀬 由一(KM学会理事・アート部会長)
谷澤 一平(KM学会会員)
【配布資料】
「やきものの歴史と知から学ぶKM戦略」(小野瀬)
「陶磁器について諸事(番外編)」(谷澤)
【発表&実技概要】
1. やきものの歴史と知から学ぶKM戦略(小野瀬)
1) やきものの歴史
・日本最古のやきものは1万2千年前の「豆粒文土器」といわれ、昭和45年〜54年の佐
世保市泉福寺洞窟遺跡調査により発掘された。
・その後、BC300年頃まで縄文式土器、AD300年頃まで弥生式土器、そして、古墳時代
には土師器(褐色)、奈良時代には須恵器(灰色)が登場した。土器の用法は、a:壺
(貯蔵)、b:甕(煮炊き)、c:高坏・鉢(食物を盛る)等であった。
・奈良時代の「日本書紀」には須恵器が陶器とあり、唐伝来の唐三彩を模した奈良三
彩(緑・褐色・白)が釉による日本初のやきものであった。
・平安時代には、緑釉陶器である平安瓷器が登場し、古窯である古瀬戸を中心に施釉
陶器が生産された。
・鎌倉時代には、六古窯(瀬戸・常滑・越前・備前・信楽・丹波)に於いて、瀬戸以
外では無釉陶器である焼しめ陶器が生産された。この時代には、禅宗寺院による茶礼
が始まり、民間の中国貿易の黙認により茶入・天目・花生などの唐物輸入が盛んと
なった。
・室町時代には、武家による会所の茶や村田珠光による茶室の数寄茶が始まり茶器需
要が増加した。茶器としては、美濃では志野・織部、美濃土岐では黄瀬戸、京都では
楽焼、三重では伊賀焼、瀬戸では瀬戸黒・瀬戸天目などが登場した。
・安土桃山時代には、武野紹鴎(むらのじょうおう)が唐物の茶器の代わりに日常雑
器を茶の湯に取入れ、道の精神を持つ「わび茶」を完成させた。さらに、武野紹鴎の
弟子の千利休は「茶道」を完成した。利休は長次郎(楽焼)を「銘無一物」とし、一
方豊臣秀吉は「武将の茶」の茶器として大井戸茶碗(越後)を重宝した。一方、秀吉
の朝鮮出兵に伴い朝鮮陶工による磁器の生産が肥前にて始まった(1616)。肥前有田
では有田焼(色絵磁器)が始まり、柿右衛門・伊万里・鍋島などのブラントが登場し
た。
・江戸時代には、武将の茶は諸藩大名に広がり、野々村仁清の「色絵鱗波文茶碗」、
尾形乾山の「銹絵染付松図茶碗」、高麗茶碗の「御本刷毛目(ごほんはけめ)茶
碗」、中国の「景徳鎮染付茶碗祥瑞(しょんずい)」、永楽保全の「色絵日の出鶴茶
碗」などが重宝とされた。
・明治時代には、茶道のパトロンは実業家となり、阪急創設者の小林一三、東武創設
者の根津青山、東急創設者の五島慶太など数寄者による古美術品収集と収集品による
大寄せ茶会が始まり、同時に有名茶器が保存された。
・大正時代以降は、書家である北大路魯山人による茶碗作陶が注目を浴びた。
2) やきものの知
a)やきものの場
・やきものの場は、「生活」の場(食物貯蔵・鍋・食器・祭事道具)から「茶道」の
場(茶碗・茶筒・香合・花瓶等)へ展開した。
b)やきものの形式化
・室町時代、同朋衆能阿弥が唐物鑑定書「君台観左右帳記」、今井宗久が「茶湯日記
書抜」著す。
・安土桃山時代、著者不明「玩貨名物記(1660)」名物茶道具所蔵者別列記あり。有
田焼柿右衛門が「赤具覚」「土具合」「御注文得形覚」等古文書残す。また、備前窯
元(木村・寺見・大饗・森・頓宮・金重)が本家伝承残す。
・江戸時代、松平不味が『古今名物類聚』著す。
・大正時代、数寄者高橋箒庵編「大正名器鑑」(1921)あり。
c)やきものの革新
・縄文式土器のデザインとして、「縄文(草創期)」「飾突起(中期)」「すりけし
縄文(後期)」「注口土土器(晩期)」あり。
・弥生式土器の形状として、「壺形(前期)」「人面付壺(中期)」「台付壺(後
期)」あり。
・土師器の素材として、赤褐色素焼「丸底土器」あり。
・須恵器の製法として、穴窯による自然釉「灰釉陶器」を生む。
・瓷器の製法として、施釉陶器「奈良三彩」を生み、古瀬戸となった。
・やきしめ陶器のバリエーションとして、無釉陶器「六古窯(瀬戸を除く)」を生
む。
・色絵磁器として、「有田焼」を生む
d)やきものの鑑賞
・茶道の茶碗鑑賞では、全体の形+景色、内部の作り、茶映り、感触、主人の趣向を
鑑賞する。
・茶碗の景色では、雨漏り・貫入・御本・土見せ・梅花皮(かいらぎ)・火間・縮緬
皺・目跡などを鑑賞する。
3)やきものの歴史と知から学ぶKM戦略
・日本のやきものは、六古窯に見られるように自然釉による焼しめ陶器、施釉陶器や
磁器が併存していることが特徴である。
・中国・朝鮮では施釉陶器や磁器が台頭し、欧州では磁器がテーブルウエアとして価
値を形成し、歴史的に日本の焼きしめ陶器は評価されなかった。
・日本の茶器は、茶道の「わび茶」を演出する茶器として自然釉による焼しめ陶器や
施釉陶器が付加価値創造したところにKM戦略上の意義が見出される。
・今日、欧米型KMが大きな試練に遭遇している中で、日本のやきものに見るフォルム
やデザインの革新は付加価値創造のKM戦略事例として学ぶべき事が多い。
2. 陶磁器について諸事(谷澤)
1) 陶磁器の分類と歴史
・陶磁器は釉薬の有無と焼成温度により分類されている。
・土器は700〜900℃で釉薬はなし、野焼きによる素焼き。メソポタミア、インダス、
黄河、ギリシャの各文明で彩色土器あり。
・せっ器(焼しめ陶器)は1100〜1250℃で釉薬はなし、備前焼、常滑焼など。日本で
は朝鮮半島からもたらされた登り窯による須恵器が起源。
・陶器は1800〜2100℃で釉薬あり、瀬戸焼、伊賀焼など、欧州ではウエッジ・ウッド
がある。カオリナイト(ケイ酸塩)やモンモリナイトを多く含む粘土が素材。一楽二
萩三唐津のランク付けあり。
・磁器は2200〜2600℃で釉薬あり、伊万里焼、九谷焼など、中国ではBC100に窯によ
る磁器が誕生し、後漢の景徳鎮が有名。粘土物質(カオリン含む)や石英等を原料と
して高温で焼成し、全体に白色。
2)歴史から見た驚き
・最古の陶器はエジプトでBC3000初めに胴呈色のトルコアーズブルーに輝く釉の陶器
といわれている。
・BC1000年前半にメソポタミヤでも青・緑・黄等の釉を使った陶器が発見されてい
る。
・中国陶器は殷時代から鉄を呈色料とする灰釉の陶器が発祥で華南を中心に発展し
た。後漢時代からローマ帝国の緑褐釉の技術が伝わり新たな陶器が誕生した。4世
紀、浙江省で半磁体の青磁系陶器が越州窯磁に受け継がれ、隋・唐・五代から北宋ま
で盛んに生産され中東に輸出された。華北では、白釉陶器、黒釉陶器、三彩陶器が主
流。イスラム陶器の影響もあり。
・エジプト、ペルシャの中東の遺跡から数多くの中国陶器が発掘されている。おそら
く、ペルシャ人、ユダヤ人、アラビア人の貿易商が中国との通商により、中国陶器が
高価な装飾品として王家や貴族に売られていた。
・ヨーロッパに中国からの磁器の製法が伝わったのは16世紀イタリア・フィレンツェ
といわれている。
(文責:小野瀬由一)
|