日本ナレッジ・マネジメント学会アート部会
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■第16回KMSJアート部会研究報告書
【日時】平成23年3月12日(土)17時〜20時
【場所】桜世青山サロン(東京メトロ青山一丁目徒歩5分)
【出席者】4名(小野瀬、谷澤、堀田、八代)
【ゲスト】桜世清水代表、末永マネージャー
【研究テーマ】「花道の歴史と知から学ぶKM戦略」
【講師】小野瀬由一+清水清美(桜世代表)
【配布資料】
「花道の歴史と知から学ぶKM戦略」(小野瀬)
「真行草の基本花型」(清水)
【研究発表者】
小野瀬由一(アート部会長)

【発表概要】
1.花道の歴史と知から学ぶKM戦略
1.花道の歴史と知からの学び
1)花道の歴史
・花道の原点は、5世紀の仏教伝来により伝わった仏前の「供華(金属の蓮華)」まで遡るといわれる。
・平安時代には、公家の遊びとして、花合、前栽合、草合、根合など花にまつわる遊びが流行した。 この時代、紀貫之は「久しかれとあたらにちるなと桜花瓶にさせどうつろいにけり」と瓶花を歌にした。
平安時代末期には、浄土信仰が流行し仏前供花の三具足(花瓶・香炉・燭台)が定着した。
・鎌倉・南北朝時代には、公武合体により武家の闘茶会、座敷飾り(立花)も始まった。
・室町・北山文化時代には、足利義満の「会所」における芸能・芸術振興が行われた。会所では、 唐絵+花瓶+香炉+文房具など唐物や立花(たてばな)の鑑賞が行われた。
・室町・東山文化時代には、足利義政の立花同朋衆+六角堂池坊専慶+山科家大沢久守等立花名手が登場した。この時代、花道最古の秘伝書『仙伝抄』が富阿弥 から池坊専慈(=専応?)へ、次に古い秘伝書『専応口伝』が広く伝授された。また、茶の湯の開山である村田珠光が「茶花」を創始した。
・安土桃山時代には、千利休が「かび茶」を確立した。この時代、織田信長や豊臣秀吉+諸大名による城郭・弟宅建築が行われ、大・中・小の書院床間装飾とし て大立花が隆盛し、池坊専好(初代)が大成した。
・江戸時代には、後水尾院天皇が「禁中の茶」と「宮中立花会」を開催し、その指導者として池坊専好(二代目)が活躍した。この時代、徳川三代家光・四代家 綱が将軍家や諸大名に立花教育を行い普及すると同時に、茶道の庶民化などにより「茶花」+「瓶花」が流行し、町人層の間では「投げ入れ花」+「立花」= 「生花」が普及した。江戸時代中期には、池坊を最高位とする「家元制度」が組織化され、幕府の「御華司」として保護された。その後、花道の流派が多く発生 し、女性の進出が顕著となった。
・明治維新より花道は試練の時を迎えたが、明治20年代には明治政府の国家主義政策への転換により、日本伝統芸能は復活し、池坊の全国組織化や「盛り花」 が考案された。この時代には、西洋の花が輸入され、小原雲心+光雲による「小原流盛花」が躍進し小原流となった。
・大正時代には、関東で足立潮花の「足立式飾花」が起こった。また、大正時代末期には、山根翆堂らによる「自由花」が提唱され、造形芸術への転換が試みら れた。
・昭和初期には、未生流勅使河原蒼風により「草月流」が考案され、花道界の革命児となり新しい造形美術として花道の家元制度による企業化が図られた。
・昭和中期には、国内における池坊流の復興やアメリカのエレン・ゴードン・アレン夫人による活け花国際交流組織「いけばなインターナショナル」(1956 年)結成など花道の海外展開が始まり現在に至る。
・昭和後期には、「日本いけばな芸術協会」結成(1966年)し伝統の心と日本文化の明日に貢献。
2)花道の知
・花道の思想の原点は、白鵬時代の仏教の供華や平安時代の三具足に見られ、三具足は浄土真宗における平時の荘厳作法を意味し、荘厳とは厳かに美しく飾るこ とであった。
・室町時代、大沢久守は立花の原型「真+真隠+副+副請+見越+流枝+前置」を示す。
・この時代、花道最古の秘伝書『仙伝抄』では、花道=「戒学(善)」+「定学(不乱)」+「彗学(道理による判断)」=不即不離=「開く枝は慈悲、抱く枝 は知恵」=「右長は諸神+左短は諸仏+左右は衆人愛嬌」=世阿弥の『花伝書』(年来稽古条々)
・次の秘伝書『専応口伝』=仏の世界は花の縁→青黄赤黒白は「五根五体」を意味→冬の飛花落葉は「盛者必衰」を意味し、極意=「よき風体(細谷かに、水ぎ わ細く、素直に挿した花)」←執心+稽古
・室町時代に考案された「茶花」は、禅思想の「自然と芸術の一体化」を意味する。 ・江戸時代、専好の弟子十一屋汰衛右門「立花大全」=7つの技(真・正真・副・請・見越・流枝・前置)を示す。
・江戸時代、富春軒仙渓「立花時勢粧」=立花の創意により「道」に至ることを立花の理想とす。 ・花道における「生花」の原型は「三角形」=「くの字型」→天地人陰陽説の普及→「天地人/天人地」=「真副体」=「序破急」=「真行草」
・江戸時代、松月堂古流五大卜友『生花草木出生伝』→生花は宇宙原理と説く(陰陽五行説)
・明治時代、小原流盛花→花材として西洋花を使用+盆型水盤の使用
・昭和時代、草月流→「新興いけばな宣言」(前衛いけばな)→花材からの解放、花器からの解放、茶の間からの解放
・型文化の伝承→「家元制度」(免許権+統制権+破門権)=直弟子→取立→直門→名取

2.花道の知から学ぶKM戦略に関する考察
1)花道の場の展開(エリア)
・花道の場は、1.飛鳥時代、仏教寺院の祈りの場→2.平安時代、公家の遊びの場→3.室町時代、公武合体に よる公家+武家による文化鑑賞の場(立花)+師匠によるおもてなしの場(茶花)→4.安土桃山時代、大名 城郭・弟宅におけるの場(立花・大立花)→5.江戸時代、町民・庶民の習いの場(生花)→6.大正時代、 芸術表現の場(自由花)→7.昭和時代、世界普及の場(新興いけばな+日本いけばな協会による海外展開)。
2)花道の型の展開(モデル)
・花道の型は、1.室町時代、池坊秘伝書による「立花」の形式化→2.江戸時代、専好の弟子十一屋汰右衛門による立花の「7つの技」+天地人陰陽説による 生花の「不等辺三角形」の形式化→3.明治時代、草月流+小原流による花道の芸術化+国際化。
3)花道の革新
・平安時代から鎌倉時代、公家の花合→武家の「立花(たてばな)=草木+器+仏教」鑑賞へ。
・室町時代、禅思想の自然と芸術の一体化による「茶花=草木+瓶+禅宗」へ。
・江戸時代、儒教+陰陽五行説による三角形の「生花=草木+瓶+儒教」へ。
・明治時代、文明開化による西洋花の「盛花=西洋花+器」へ。
・大正時代、造形芸術・前衛芸術としての「自由花=芸術表現+芸術思想」へ。
4)花道の伝承
・室町時代(北山文化)、同朋衆による技術伝承。
・室町時代(東山文化)、師匠による技術の追求。
・安土桃山時代、家元による技術の秘伝化。
・江戸時代、流派による家元伝承。
・昭和時代(中期)、池坊の学校による技術普及。
・昭和時代(後期)、芸術協会等による海外展開。

2.花道の実技
【実技指導】
桜世代表 清水清美師匠
【指導概要】
1) 真の基本花型(逆勝手)
・器内の剣山の位置は右奥か右手前。
・真の役枝は剣山の奥中央位置に右斜め前に10度の角度で挿す。
・副の役枝は剣山の中央右位置に右斜め前に40度の角度で挿す。
・体の役枝は剣山の前左位置に左斜め前にいくぶん前寄りに70度の角度で挿す。
2) 行の基本花型(本勝手)
・器内の剣山の位置は左奥か左点前。
・行の花型は少しくつろいだ感じになる。
・器内の剣山の位置は左奥は左手前。
・真の役枝は剣山の奥中央位置に左斜め前に45度の角度で挿す。
・副の役枝は剣山の中央左位置に左斜め前に10度の角度で挿す。
・体の役枝は剣山の前右位置に右斜め前にいくぶん前寄りに75度の角度で挿す。
3) 草の基本花型(本勝手)
・剣山の位置は本勝手の真、行とは逆になる。
・真の役枝は剣山の奥中央位置に左斜め前やや横寄りに70度の角度で挿す。
・副の役枝は剣山の中央左位置に左斜め前やや横寄りに10度の角度で挿す。
・体の役枝は剣山の前右位置に右斜め前ほとんど前寄りに80度の角度で挿す。


【生徒作品】

【清水師匠作品】
【参考文献】

久保田滋・瀬川健一郎著『日本花道史』光風社書店(1971)
桑田忠親著『日本の芸道六趣』中央新書(1983)
池坊専永著『はじめての池坊いけばな入門』日本華道社(1999)
熊倉功夫著『放送大学叢書 茶の湯といけばなの歴史〜日本の生活文化』左右社(2009)
千宗室著『茶の心』淡交ムック(2001年)
井島勉編著『図説いけばな体系第1巻いけばなの美学』角川書店(1971)
井島勉編著『図説いけばな体系第2巻いけばなの文化史』角川書店(1970)
井島勉編著『図説いけばな体系第3巻いけばなの文化史』角川書店(1970)
井島勉編著『図説いけばな体系第4巻現代のいけばな』角川書店(1971)

(文責:小野瀬由一)



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