記
第19回KMSJアート部会報告書
【日時】平成23年9月17日(土)17時〜19時00分
【場所】小石川後楽園涵徳亭日本間(JR飯田橋5分)
【出席者】5名(小野瀬、谷澤、堀田、矢野、葛城)
【研究テーマ】「合気道の知から学ぶKM戦略」
【配布資料】
「合気道の知から学ぶKM戦略」(小野瀬)
【発表者】
小野瀬由一(アート部会長)+葛城奈海(至誠館合気道5段)
【発表概要】
1.武道と合気道の歴史からの学び(小野瀬)
1)武道の歴史
・日本の武道は、武器を使う弓道・剣道・薙刀道、武器を使わない柔道・合気道・空手道などがあり、歴史的には弓術から始まった「弓道」が最も古い。
・奈良時代、弓は神社神道における神事に使用された。
・平安時代、荘園領主の武器としての弓射から公家の分射(礼射)や賭射(=古式弓道)へ展開した。
・鎌倉時代、武士の射術の修練として流鏑馬・笠懸・犬追者(騎射三者)=貫徹の射として展開した。
・室町時代、柔術の源流である「竹内流小具足腰の廻」が発祥した。竹内流の思想は掟+兵歌+三徳抄による礼儀重視であった。竹内流の修行では習熟度による
5段階昇格制度を有していた。
・安土桃山時代、長篠の戦で鉄砲が使われると弓の価値は消滅した。
・江戸時代、宮本武蔵が兵法の道「五輪の書」(1643)を大成。講道館柔道の古式の形である「起倒流柔術」(1637)、武士訓(柔能制剛の理)の元で
ある「関口流柔新心流」(1648)、講道館柔道に影響した「天神真楊流」(1822)が発祥した。
・明治時代、嘉納治五郎が講道館・嘉納塾・弘文館を設立(1882)した。
2)合気道の歴史
・明治時代、植芝盛平が起倒流柔術(1902)・新陰流剣術を学ぶ。
・大正時代、植芝盛平が日露戦争従軍(1903)、北海道開拓移民紀州団団長として入植(1911〜1919)し、途中大東流武術家武田惣角と出会う
(1915)。
その後、京都大本教教祖出口王仁三郎に信服・私淑(1919)。大本教本宮内に「植芝塾」を建設し、鎮魂帰神・言霊学・大東柔術・槍術等を学ぶ。
第一次大本教事件(1921)により4か月満蒙行(1924)。「合気の道」開眼(1925)。
・昭和時代、植芝盛平が東京牛込若松町に「皇武館道場」を設立(1931)。兵庫県「大日本武道宣揚会竹田道場」会長に就任(1932)したが、第2次大
本教事件(1935)の影響による閉鎖。財団法人皇武会設立(1935)。
合気武道=言霊+武産合気->「合気道」と称す(1942)。
太平洋戦争の敗戦により武道教育中止。岩間で「合気苑」建設し、合気神社・野外道場・武農一如生活。合気道海外人気高まる(1952)。
第1回公開演武会(日本橋高島屋)を開催(1956)。
全日本合気道連盟、国際合気道連盟(IAF)が発足(1976)。
合気道が国際スポーツ連盟統合(GAISF)公式承認。
2.合気道の知とKM戦略に関する考察(小野瀬)
1)合気道の知
・合気道は、「△(イクムスビ)」+「○(タルムスビ)」+「□(タマツメムスビ)」が一体化して気の流れを生じて円転してスミキル、すなわち、言霊の気
声・気息・気合に基づく気・心・体一如の境地である。
2)合気道の技
・合気道の技は、基礎実技(構え・間合い・手刀・入り身・さばき・呼吸力)+技法(投げ技・固め技・投げ固め技・その他)+応用技(呼吸投げ・対武器技・
対多数技・その他)である。
・合気道は精神的武道であり、試合は行わず練磨+平常坐臥による技を演武会にて演武する。
3)合気道の場と型
(1)合気道の場(エリア)
・合気道の場は、道場が「禊の場」であり気・心・体一如の境地の場である。合気道は「闘わずして勝つ場」であり、今後「和合の場」としての一層の国際展開
が期待される。
(2)合気道の型(モデル)
・合気道は、基礎実技(構え・間合い・手刀・入り身・さばき・呼吸力)+技法(投げ技・固め技・投げ固め技・その他)+応用技(呼吸投げ・対武器技・対多
数技・その他)による精神的武道である。
・合気道は闘わずして勝つ武道、すなわち自己鍛錬の「禊の場」=気育+知育+徳育+体育+常識涵養であり、形を超えるた「常勝の道」である。
(3)合気道の革新
・合気道の革新は、道場を合気道の鍛錬の場、すなわち「禊の場」とし、宇宙真理との同化を目指す魄と魂の統合による「精神的武道」としたこと。
(4)合気道の伝承
・合気道の伝承は、皇武館道場設立(1931)->財団法人皇武会設立(1940)->財団法人合気会名称変更(1948)により気育+知育
+徳育+体育+常識涵養し、「国際合気道連盟(IAF)」+国際スポーツ連盟統合(GAISF)による国際普及をめざすこと。
3.合気道の知から学ぶKM戦略に関する考察(小野瀬)
1)合気道の知
・合気道は、言霊の気声・気息・気合に基づく気・心・体一如の境地である。
・合気道は、技の形を超える「精神的武道」であり、宇宙真理との同化、すなわち、魄と魂の統合による「至善至愛」の実現をめざす。
1)合気道の形式化
・大正時代、植芝盛平は「合気の道」開眼し、昭和時代には「合気武道」を成立した。
・合気道は技の形式化は避け、基礎実技+技法+応用技の道場における鍛錬による修得をめざした。
3)合気道の知から学ぶKM戦略
・合気道は闘わずして勝つ武道であり、戦う前から勝つ道、すなわち「常勝の道」は、ビジネスにおいても究極の経営哲学である。
・合気道は道場を自己鍛錬の「禊の場」としており、ビジネスにおいても過去の成功体験や失敗体験の「禊の場」を持つことは重要である。しかし、ビジネスに
おける「禊の場」の場とは、単に失敗や問題を洗い流すのではなく、成功や失敗の真因追及と課題解決手法の形式化が重要であろう。
・今日の企業マネジメントでは経営革新と同時に社員の気育+知育+徳育が求められおり、企業独自にその手法を見出すことが重要である。
・合気道は合気道は気・心・体一如の境地による気育+知育+徳育+体育+常識涵養による「至善至愛」を最終目標としており、企業の気質や資質の改革手段と
しても有効であろう。
3.合気道の技と演武(葛城)
至誠館葛城奈海5段から、合気道の技と演武、合気道の概要について以下のとおり解説があった。
1)合気道の技と演武
・DVD合気道「神武の心」(至誠館館長田中茂穂9段)により合気道の技と演武について解説があった。
2)合気道とは
・合気道は使う気がないと使えない。
・合気道では丹田に気を入れて手足を脱力する。
・合気道とは生き方の幹の形成である。合気道との出会いを契機に、現在自然や環境問題に関わっている。
・日本は明治維新により米国流の近代化が始まったが、今日の日本では国を守るという日本人としてのIdentityが失われた。
・自分を守るのが合気道であり、同時に国を守れないと自分を守れないこともにもなる。
・合気道の和合や不戦の精神が海外に受け入れられ、海外交流が進んでいる。
【参考文献】
・植芝吉祥丸ら著「大日本武道体系(第8巻)」同朋舎出版、1982年8月
・植芝吉祥丸ら著「大日本武道体系(第6巻)」同朋舎出版、1982年8月
・吉丸慶雪著「合気道の科学」ベースボール・マガジン社、2002年2月
・植芝吉祥丸監修「合気道開祖・植芝盛平語録合気真髄」八幡書店、2002年9月
・木村達雄著「合気修得への道」合気ニュース、2005年11月
・植芝守央著「合気道図解コーチ」成美堂出版、2006年10月
・保江邦夫著「武道VS.物理学」講談社+α新書、2007年12月
・安藤毎夫著「合気道の解」BABジャパン、2010年5月
・ウィキペディアフリー百科事典
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